メンズカウンセリングの特徴と類似セラピーメンズカウンセリングとその類似セラピー権力構造の排除 ロジャースのクライアント中心療法はクライアントに対する無条件の受容を前提とするが、そこではセラピストの価値観によるクライアントの評価を否定する。またクライアントに対する敬意が求められる。ナラティブセラピーやメンズカウンセリングにおいては、さらにクライアントの体験知に対するセラピストの無知の自覚だけでなく、クライアントの体験から学ぶべくunderstand の立ち位置にセラピスト自身が立つ事を前提とする。この事で、専門知を有するセラピストと体験知を有するクライアントが対等な関係になり、相互にパワーコントロールを用いない関係とする事ができる。 社会病理の視点 精神医療にしてもカウンセリングにしても問題はセラピーを受けるクライアントに還元され、クライアントを治療やセラピーの対象とする。けれど、個々のクライアントの症状は病理抑圧社会の症状であって問題は社会にあると考える事もできる。フェミニストは個々のクライアントの苦悩は男性支配の構造から解放される事で終わらせる事ができると考えるが、病理は性支配だけではなく様々な差別抑圧構造が社会に存在する。ナラティブセラピーでは、クライアントに関わる家族社会や小さな地域社会をセラピーの範疇と考えるが、社会全体へのアプローチは考慮しない。セラピスト自身がよって立つ社会全体をセラピーの対象とすれば自己矛盾が生じるからであろうか。メンズセラピーにおいては差別権力社会を否定的にとらえるので、セラピストは社会との関わりについて、自身の総括が求められているから、クライアントとの関わりにおいては矛盾は生じない。 ジェンダー理解 フェミニストは女性の抱える困難は男性支配の構造に由来すると前提する。従ってフェミスストセラピーに置いては男性支配の構造からクライアント(女性)を解放する事がセラピーの方法論とされる。メンズカウンセリングでは性別に関わり無く、男性もまた権力構造社会の被抑圧者として困難を抱えているのであり、差別抑圧構造からの解放が当事者の回復に必要と前提する。メンズセラピーではマクロな社会病理としての男性支配の構造は認めるがミクロには性別と権力構造は特定しえないと考える。男性被害・女性加害としての病理もセラピーの範疇とする。 当事者性 べてるの家の非援助論では当事者の病理を排除すべきものとしてセラピーを位置づけるのではなく病理を抱える当事者が病理を受け入れ病理を本人の個性としていかに付き合うか、当事者が主人公として自身を生きる主体としてセラピーを位置づける。けれど、社会構造の中ではあくまで専門家と当事者は違う存在であり、当事者が社会の中で当事者としてセラピーを行っている訳ではなく、専門家の存在と言う枠の中でのセラピーといえる。その点、メンズセラピーは社会的権威や資格と言う権力によって社会の中で枠を作る事でセラピーを行うのではなく、社会の構造とは無縁の辺境の荒野にてセラピーを行う。まさに当事者の当事者による当事者のためのセラピーである。 |